「あの時あの頃」を振り返ってみた

後期高齢者となったのを機会に「あの時あの頃」を振り返ってみた

浜崎慶隆(非木材グリーン協会 監事)

1980年5月(頃と記憶)、成田発でロンドン・ドバイ経由でオマーンのマスカットに到着。マスカットに一泊して翌朝サララに向かいました。青天快晴で、且つカラッとしたとても気分の良い朝でした。直ぐに空港に向かいサララ行きフライトに乗り込み、1時間ほどで、現地サララに到着しました。

驚いたことに、(現在はどのように変化したかは不明ですが)サララ空港の周辺は緑豊かな東南アジアの街と思えるほど植物が繁茂した地域でした。それまで中東のクウェイト、サウジアラビア、バグダッドなどどこに行っても砂漠(砂)か土漠(石ころ)の乾燥地帯だったのに、サララは、まるで緑の天国でした。思わず心が浮き立つ、目の覚めるような気分でした。

お客のモハンラル氏が空港出口で出迎えてくれました。早速スーパーを見てくれと店に向かいました。確かに、王宮の一角にコストコ程ではないが、巨大なスーパーが控えていました。店内は、スーパーというより日本のデパート、或いはショッピングモールといった雰囲気で、広い店内には、衣料品、おもちゃ、食品、宝飾品など多くの各種小売店が並んでいて、なかなかなものです。

店を一巡した後は、数ブロック離れたモハンラル氏の自宅でランチというスケジュールになり、オマーン風かと思ったら、典型的なインド風ベジタリアンの昼食をいただきました。生まれて初めてでした。

自宅に到着すると玄関でモハンラル氏の父親・母親、奥さん、子供たち(15歳位を頭に3人)が待ち受けており、順次紹介を受けました。典型的なインド人家族です。色々話を聞くと(英語はモハンラル氏のみで、通常会話はインド語?)、父親・母親がオマーンで一旗を上げるため、インド・グジャラート州から出かけてきた由。色々苦労したうえで王様とも良い関係を持つことが出来、今の商売を進めることが出来たと、苦労話を聞かされました。早速味わったのが、かなり甘めの生姜入りのコーヒー。これは初めての絶品でした。

また、初めてのベジタリアンの食事ということで、十分な説明が出来ないのが残念ですが、四つ足・魚類以外の穀類・ナッツ・野菜類・油類を駆使した多彩なメニューには驚きました。サラッとした揚げ物、スープ類、フルーツ類はとても美味で、胃袋にやさしいものでした。油類はすべて何とかの木の実を絞ったとのこと。父親のモハンラル氏は、生まれた時から、数種のナッツ以外の食事をしたことがないほどのベジタリアンだそうです。ただ、モハンラル氏以外の家族とは、モハンラル氏による通訳部分を除き、言語の不一致ということで会話が成り立ちませんでした。

夕方、コテージタイプのホテルに戻ると、コンシェルジェが「お客さんが待ってますよ」という。特に面談をする予定はなかったので、少々警戒しながら誰?と聞いたら、すぐそばのソファーから予想外に「こんにちは」という何と普通の日本語発音の日本人らしき人物。「日本人がこのホテルに宿泊している」との噂を聞いたので「懐かしく、日本語を忘れないように」少々恥ずかしいけど日本人に会いに来てしまいました、とのこと。ウンザリするほど海外出張しているが、日本人に会いたいという日本人に出くわしたのは初めてでした。少々胡散臭いか?

年齢は30歳ほど。10年前に日本を飛び出し、北アメリカ、南アメリカを回り、エジプトからインドに渡り、色々とアルバイトをしていたらオマーンでの労務者の募集があったので、流れてきましたという。その時点では、サララ郊外にある農園の管理者として働いているとのことでした。まあ、胡散臭いとことはなく、実直そうなので、ホテルのバーで日本語のリハビリ授業をさせてもらいました。ただ、日本語以外、日本に関する話は一切なく、彼の話は本当らしく聞こえますが、どこの生まれで、育ちでといった点は謎でした。小一時間ホテルのバーで一杯遣りながら話をしましたが、警戒心は解けずにお開きとしました。

注)サウジアラビアなど一部アラブ諸国は、禁酒法を徹底していますが、特定の大手ホテルではパスポートの提示を条件に酒類を提供しています。オマーンでは比較的に規制が緩く、バーを常設しているところも多いようです。マスカットのホテル・バーで英国人女性がソロで歌謡ショ―を開催していました。素晴らしい歌唱力でした。

(浜)