危機一‘発’(3):バグダッド

 1980年2月、ベイルートでイラクへの入国ビザを取得して、先ずは無事にイラクのバグダッド空港に到着し、すんなりと入国手続きを完了してホテルにチェックインすることができました。

 翌日からは現地事務所との打ち合わせや外部関係者との打ち合わせもスムースに進み、入札受け入れ機関との折衝に入りました。少々戸惑ったのは、当該機関の決定により、入札日を2月X日とし、札入れ当日にすべての応札者に対し、応札内容を個別に協議するというものでした。通常は入札した日以降にそれぞれの応札内容を吟味し、落札者を選定するのですが、入札日に結論(結果)を出そうとするようでした。お役人の決めたことだから、文句は言うなということです。まあ朝令暮改のお国柄でもあり、ヤレヤレ感一杯でした。

 ところが、入札日の前日に飛んでもない情報がありました。今回の入札では大型船を利用して、荷物をバスラ港まで輸送することが前提でしたが、バスラ港はシャットルアラブ川沿いの貿易港で、ペルシャ湾の最奥部からチグリス・ユーフラテス川から遡った地域にあります。情報では、イラクの南東部からイラン西部にかけて大雨が猛威を振るい、土砂がシャットルアラブ川に流れ込み、水深が急速に浅くなり大型船のバスラ港への入港が難しくなる、という当時バスラに入港していた邦船の船長からの情報でした。同船長は、直ちに荷役を中断して出航してしまいました。川の途中で座礁したらそれこそ最悪です(結果として、とても貴重な情報でした)。

 一方、社内でどのように応札に対応するかを検討した結果、意識的に価格を修正することを決定し、応札することにしました。取引を成立させないという結論です。入札当日(午前10時頃)に受付窓口を訪問すると、書類の提出後、応札者全員が一室に案内されそこで待機するよう指示されました。全員で30名程いたでしょうか。そして応札者が一人ずつ別室に呼ばれ、応札内容の協議・確認作業をすることになりました。これがとんでもない待機時間を生み出しました。途中でかなり粗雑なサンドイッチとコーヒーが2度程提供されましたが、スマホも携帯電話もない時代です。外部との連絡の取りようもありません。協議は、応札1社当たり約2時間です。3時間を超える応札者もいました。結果として、私に順番が来たのは、翌日の午前2時です。それから協議が始まって2.5時間もかかりました。

 「お前の価格は随分と高いな」、「なんでこんなに高いんだ」等々を話した結果、確認作業は、夜明け前に終了しました。そして応札結果は、負けることは分かっていましたが、やはり惨敗でした。滞在も3週間に長期化しました。そして、かなり意気消沈して帰国しました。またこの案件は、A社が落札して半年後の9月初旬に契約の概要が外部に公式発表されました。そして、バスラ港も何とか機能を維持している様子でした。

 ところが、9月下旬大事件が発生しました。イラン・イラク戦争です。A社は、当該契約に従い貨物を準備し、船積を実施しました。貨物を満載した大型船の第1船が、既にペルシャ湾(アラビア湾)の最奥部に到着していました。第2船はホルムズ海峡入口付近、第3船はインド・ゴア沖を通過中でした。それぞれの大型船は、長期間滞船したり、湾岸諸国やアラビア湾から紅海に回ったりしながら貨物の荷下ろし港を探し回ったりと、大変な苦労をされたそうです。

 先日(2021年3月)のスエズ運河での座礁事故とは比較にならない事態です。事故でなくて、本物の戦争です。私にとっては、仕事上の最大の「危機一発」でした。

(浜崎慶隆)