【今回、出会った本】
『バナナ・ペーパー 持続する地球環境への提案』森島紘史著 (鹿島出版会)2005年8月
たしかあれは一九九〇年代の初め頃だったと思う。当時私が在職していた洋紙販売会社のショールームの自動ドアが開いて、ひとりの小柄な老紳士が入ってこられた。事前のアポイントもなく突然の来訪であった。応対した私に対して、その老紳士は挨拶もそこそこに、テーブルのうえに茶色く乾燥したなにか奇妙な出汁昆布のようなものを並べて、
「これを紙にして欲しいんです。これを紙にできませんか?」
と、いきなりこう切り出したのだった。
はじめは冗談を言っているのかと思ったが、その目は真剣だった。頂戴した名刺もおなじく茶色の紙でできており、そこには「熱帯情報学会 御田昭雄」とあった。
その出会いがあって、私は御田さんからバナナの茎からはよい繊維がとれること、にもかかわらずバナナの茎は大量に廃棄されていること、そのバナナから紙をつくれば高品質のよい紙ができることなどを教わったのだった。だが、その後、いろいろ調査してみたところ、例えばフィリピンではバナナの茎をパルプ原料として集約するための仕組みもインフラもないことなどが明かになり、この話は自然消滅してしまった。バナナで紙をつくるといった素敵な夢を、私はすっかり忘れてしまっていた。
『バナナ・ペーパー』というこの本と出合ったとき、まっさきに思い出されたのがその時のことだった。この本は「エコロジー・デザイン・システム」という観点から立ち上げられた「バナナ・ペーパー・プロジェクト」について、さまざまな角度から論じている。このプロジェクトは、「バナナ生産時にゴミとして捨てられているバナナの茎を天然資源として見直し、そこから繊維を抽出し、バナナ紙を製造することで、途上国の経済的自立を支援する国際協力プロジェクト」だとされている。序文にはつぎのような記述がある。
(ここから引用)
「バナナ」は熱帯・亜熱帯地方では自生し、栽培可能な主食にもなる果物であるが、一度実がなると枯れていく特性をもつ。ところが多年草であるために、株から次の新芽が出て、赤道直下では3ヵ月、亜熱帯地方でも平均8ヵ月で、再び果実をつける早生植物である。果実収穫時には、巨大な茎を根元近くで切り倒し、使い道がないためその場に捨てられているが、2004年世界のバナナ生産量約1億トンから推量すると、廃棄量は10億トンに迫るほどだ。その廃棄物「茎」を天然資源として捉え、そこから繊維を抽出し、バナナ紙を製造すれば、紙を自国で生産していない地域では、安価な紙が地域経済、教育、文化を発展させることになり、強いていえば、輸入していた紙の貿易支払が縮小することにより、外貨の節減になる。日本には世界が認める高品質の和紙を製造する技術がある。大規模な投資や大量のエネルギーを必要としない技法は、インフラ整備の遅れている地域でも、十分応用できるものであり、貧困に苦しむ熱帯・亜熱帯地方の農村に紙をつくる技術の提供を行うことで、そこに産業が生まれ貧困から脱却するひとつの緒となる。プロジェクトは、まずバナナ繊維に対応する機器類の開発と製紙技術開発を行い、その上で経済的自立に向けてのデザイン・システムの構築を行うもので、現在カリブ海のジャマイカやハイチ共和国で国際協力を実践中である。
(引用ここまで)
本書の刊行されたのが2005年8月、またこのプロジェクトの開始日は1999年4月となっている。現在、同プロジェクトの継続状況は確認できていない。
その当時、私もこのプロジェクトのことは知っており、個人的にはとても関心をもっていた。だが、風のうわさでは、なんでも現地(ハイチ)の政情がきわめて危険なものになったため、関係者は引き上げざるを得なかったという話を聞いた覚えがある。
そこで、あらためてハイチ共和国の現代史を調べてみると、2004年に同国ではたしかに政変が起こっている。北部の町で反政府勢力が武装蜂起し、その結果、大統領が国外に亡命する事態になったとのことだった。想像するに、こうした国情の劇的な変化によって、このプロジェクトも頓挫せざるを得なかったのだろうか。
だが、たとえそうだったとしても、このプロジェクトのもつ先駆性は、とても大切なことを私たちに告げているように思う。まだ国連によるSDGs(Sustainable Development Goals)もなかった時代に、その精神を先取りするかのようなこうした取り組みがなされていたことは、注目すべき事実だろう。
本書の内容に沿いながら、今後、数回にわたって〝バナナ・ペーパーの足跡〟を追いかけてみたいと思う。(続く)
(添田馨)