危機一‘発’(8):ベトナム山間部の風景

 ベトナムでは3年程駐在しましたが、その間、植林事業も担当し、ベトナム中部から北部にかけて、何度も山間部を訪問する機会を得ました。1993年頃です。植林候補地の選定を目的として3名でラムドン省ダラットを出発して西部山岳地区の地整調査に入りました。ダラットは中南部やや南寄りのベトナムの軽井沢と謂われるほど山岳景勝地で、昔は支配者であるフランス人が挙って別荘を建てた地区で、ベトナムコーヒーの産地としても有名です。

 ダラットから西方向に約30km。多分カンボジア国境からそれ程遠くない山奥で地形を眺めながら商業植林が可能かどうかを検分する仕事でした。コンクリート道路は最初の5km程で、以後は砂利道が少しだけ。通常の交通路はバイク道しかありません。そこをランクルで無理やり通行します。登山道を車で走行する状態です。普段はバイクや牛にひかせた荷車を利用する程度なので轍が異様に深い。車の底を擦りながらの走行のため、恐らく車の底はピカピカ、デコボコ状態でしょう。
 正確な場所は不明ですが、突然5名程のライフルを担いだ一行と出くわしました。一瞬、山賊が出たと思ったが、それにしては行儀が良い。不審者を見なかったかとか色々質問・尋問を受けました。正式名称は不明ですが、農業省、或いは林業省の山岳監視隊のメンバーでした。近くに芥子(ケシ)の栽培地を発見したので、不心得者を捜索中であった由です。実弾入りのライフルを担ぎ、寝袋やキャンプ道具まで持参している実戦部隊でした。我々にもフォレストサービスの担当官が同行していたので、無事通行を許可してくれました。こんな山の中に芥子の畑を作って、麻薬を商売にしている連中がいます。イヤハヤ。

 更に、奥地に入るともう獣道としか思えない山道をランクルで強引に通行しました。目的地周辺に到着して必要なデータは入手したのですが、今度は10人程のグループと遭遇。山の駕籠かきのグループでした。狭い獣道でこのグループとすれ違うのは冷や汗ものでした。
 とても複雑で、深刻な状態でした。山奥の村でおばあさんが心臓病で重症になったので、ともかく町の病院に連れて行き、治療する必要があった。当然ながら救急車はない、救助ヘリもない、勿論医師もいない状態で村の若者が駕籠かき結成したそうです。病人を担架に乗せ、若者4人が担ぐ、他の若者4人は水や食べ物を担いだ駕籠かきの交代要員、2名が道路整備係(石ころを除いたり、枝を切ったり)です。籠には日よけ用の布テントが被さり、病人を強烈な日差しから保護していました。そして、駕籠かきはすべて同じ村の若者とのことで、全員がボランタリーでした。これだけの若者がよく揃ったものです。
 流石に病人は疲れ切った様子だったので、緊急の場合でもあり、我々の車を使用してはと申し入れたものの、車では揺れが激しすぎて病人にとっては、体力が消耗してしまうとのことで、断られました。
 一行は既に10km近くも籠を担いでいるらしく、相当な疲労を見せていましたが、10人の若者は声を上げながら、籠を揺さらないように慎重に獣道を行く姿には感動させられました。思わずベトナム人の根性を見せられた気分でした。

(浜崎慶隆)