危機一‘発’(番外編):クウェート(その1)

 1980年7月、ロンドン経由で真昼間に灼熱のクウェート空港に到着しました。推定気温50℃程ですが、空は底抜けに澄み切って地平線から水平線まで青い。ハンカチを火傷除けにして、タクシーのドアを開けて車中に入り込みます。エアコンは利いているけど、車の中は竈の中のように熱いけど、湿度はせいぜい10%程度です。窓を開けていると火傷をするほどの熱風が吹き込んできます。

 30分ほど前に空港の到着ロビーで、この暑い国で冷や汗をかきました。ご存じのとおりクウェートは禁酒国です。但し、外国人であれば“自己消費用の酒類”の持ち込みは(黙認だが)許されています。そこでロンドンで少々お高いウィスキーを2本仕入れてきました。お客用と自分用です。
 到着ロビーは適度にエアコンが効いており、快適な気分ですが5時間程のフライトの後の体には、悪魔が睡魔を呼ぶ瞬間でした。イミグレーション窓口までに、長い順番待ちの列が続いています。世界最強の日本国パスポートを持っていても、2時間位の待ちが必要でしょう。スーツケース、仕事用バッグとウィスキーボトルを入れたデューティーフリーバッグをぶらさげていたのですが、フッと立ったまま居眠りをしたようでした。
 その瞬間に、「ガチャ」という雑音が聞こえました。「ヤバい」、ウィスキーを入れたバッグが指から滑り落ちたようです。日本国内だったら「ゴメンなさい」で何事もないはずですが、ここはイスラム戒律の厳しい禁酒国というお国柄です。一瞬にして目が覚めました。さてこの危機的な状況に如何に対応すべきでしょうか。

 1分もしないうちに、私の周辺で「香しい強いアルコール臭」が漂ってきました。バッグを開けてみるとウィスキーのビンがひとつ割れていました。当然周辺にいた「入国審査待ちの外国人」も「ギョッ」としており、にわかに私は「時の人」になってしまいました。そしてウィスキー臭は、確実に到着ロビー内に広がっていきました。
 そのうち時間は待ってくれないので、入国管理官にウイスキーの臭いを染み込ませた手で、パスポートと入国申請書を「知らぬ顔」しながら提示して入国許可待ちました。当然周囲は酒臭いこと、この上なしです。法制上は「国外退去」になっても文句を言えない我が身でした。その頃にはエアコンの流れに乗って、ウィスキー臭はホール全体に広がっていました。

 待つこと5分。係官から、静かな声で「この国では法律で禁止になっているが、既に酒のビンは空になったようなので、入国を許可します」と澄まし顔で「判決」を通告されました。「実は1本残ってます」という必要はなかったのです。その後は「早く荷物を纏めてタクシーに乗ってしまえ」と一言でした。
 そそくさとタクシーに乗ったら運転手が「良かったね」、「ホテルに着くまでに適当な場所を教えるからビンを捨ててこい」と言ってくれました。街中ではビンの処分も難しそうです。当時のクウェート空港から市中まではちょっとした砂漠です。

 この頃の五つ星のホテルはあったけど、まだまだ田舎町です。オイルで潤っている建設途中の街で、中心部では50℃を超える熱波の中で、インド、パキスタン、レバノン、シリアの出稼ぎ連中が“ウロウロと散歩”したり、日向ぼっこしたりと忙しそうな街でした。
 やっと到着したホテルは、少々安いホテルでも寒いほどエアコンが効いており、やっと生き返った思いでした。しかし、ここでの生活は厳しいものでした。        (次号へ続く)

(浜崎慶隆)