【連載】「日々是発見!」(3)《植物に脳はあるのでしょうか》!?

【今回、出会った本】
『植物は〈未来〉を知っている』ステファノ・マングーゾ(NHK出版)

 私はいぜんから、植物は脳をもっていないのに、あたかもじぶんの意志をもっているかのようにたち振る舞うのを、すごく不思議に思ってきました。
 たとえば、植物がみずから機能的に姿を変えたり(擬態、構造のデザインなど)、昆虫や動物の力を利用しながら、生きながらえるためのきわめて合理的な戦略(適応関係や共生関係の構築など)を採用したりする姿は、その背後になにものかの明確な意志を感じさせてならなかったからです。でも、それがだれの意志なのか、まったく見当もつきませんでした。

 ‘植物は、動物のあらゆる反応の基盤である‶脳〟という器官をもたないのに、どうして動物と同じような反応をすることができるのだろう?脳のかわりに、どんなシステムを用いているのか?絶え間ない環境の刺激に対して、どんなふうに反応して適切な解決策をとることができるのか?’
                       (『植物は〈未来〉を知っている』165頁)

 このリサーチ・クエスチョンは私の長年の疑問をとくためには、まことに打ってつけの問いかけでした。というのも、私たちが植物に対していだいているおおきな誤解を、この本はみごとに正してくれたからです。その誤解とは、動物は行為するけれど、植物は行為しないという、これまでほとんど疑われてこなかった常識のことです。
 行為するのはなにも動物ばかりではありません。じつは植物も動物とおなじように日々行為しているのです。芽をめぶかせたり、葉を茂らせたり、花を咲かせて根を伸ばしたり…といったじつに当たり前な現象は、まさに私たちがふだんからよく知っている植物たちの生存行為そのものですよね。
 にもかかわらず、なぜ植物は動かないものだと錯覚してしまうかといえば、彼らの行動のペースが私たちの時間感覚の尺度からすると余りにもスロー過ぎて、その行為のプロセスをリアルタイムな経験として私たちが体感しづらいところに一番の原因があるように思います。

 でも、そのことと、植物に脳があるかどうかという問題は、どこでどう繋がってくるのでしょうか?
 マンクーゾの語るところにさらに耳を傾けてみましょう。

‘根という器官は、反論を恐れずにいえば、植物のもっとも注目すべき部分だ。根は物理的にネットワークをつくっていて、その先端部はたえず進む前線となっている。つまり、中央に一つの指令センターをもつ動物とはちがって、根端一本一本が微小な無数の指令センターとなり、前線をつくっている。根が成長しながら収集した情報を各指令センターがまとめ、それをもとに伸長の方向を決定する。つまり、根は、一種の集合的な脳、より正確にいえば、長い根に分散された一種の知性であり、これが植物を導いていく。根一本一本が成長し、伸びながら、植物の栄養摂取と生存のために基本的な情報を手にいれるのだ。’
                               (前掲書 165~166頁)

 この記述は私を驚かせるのに十分でした。閉鎖系の身体器官をもつわれわれとは異なり、開放系の身体器官をもつ植物において、その意志は、枝さきや葉さきから根毛の先端にまでいたるその全身に分散して存在するという、これまで思いもよらなかったヴィジョンが、ここではっきりと提示されていたからです。
 根にかんしてさらに言うなら、幾億本にも分岐した根毛の伸長する運動の全体が、植物の意志の発現のかたちそのものだという、これはまったく新しい発見なのですね。
 運動することがそのまま意志の発現であり、またその意志の導きによってつぎなる行為の方向性を決定し、ちゃくじつに実行にうつす――この単調なプロセスのとほうもない反復のかなたに、結果として植物が生きのびるためのすべての戦略がうみだされ、かつまたその目的がみごとに果たされているのだとするなら、私たちの植物を見る目はまちがいなく変わらざるをえないのではないでしょうか。(了)

(添田馨)