【今回、出会った本】
『脳とクオリア』茂木健一郎(講談社学術文庫)
いったい何がどうなったら、この本が主張するように「人間は決して死ぬことはない」という結論にいたり着くのでしょうか?
これを知るには、まず「ニューロン」つまり私たちの脳にびっしりと張り巡らせてある神経細胞のことを理解しなくてはなりません。
「ニューロン」は神経系を構成する細胞であり、情報の伝達と処理の役割を担います。この細胞はその表面に「樹状突起」という数多くの枝を持っていて、また「軸索」という長く一本のびる腕を持っています。ここまでよろしいでしょうか?
ある神経細胞の「軸索」が他の神経細胞と接続している部分を「シナプス」と呼ぶのですが、脳がおこなう情報の伝達や処理はこの「シナプス」のあいだを通る電気的な信号によってなされているのです。これらシナプス間で電流が生じることをニューロンが「発火」(興奮)するといいます。私たちの意識のはたらきとは、実はこのニューロンの発火現象のことだったのです。はい、ここまでよろしいですね?
ところで「私」とはいったい誰のことでしょう?
脳神経学では「私」をなまみの身体ではなく〝私という意識〟だと考えるのですね。そうすると「私」とは、生まれてから今日までのさまざまな意識のはたらきやその記憶の全体を指すことになり、それは私自身に特有なニューロンの発火パターンに他ならないという帰結になるのです。
はい、ここでひとつの思考実験をおこないます。読者のかたは、これまでの常識的な発想をいったんリセットしてみてください。
例えば、眠っているあいだに何時間か意識をなくしていたにもかかわらず、目覚めた後の自分は、眠る前の自分とおなじ「私」だと思えるのは何故でしょうか?それは「睡眠の後で、睡眠の前と似たニューロンの発火パターンが再現されるから」だと、この本は言っています。
でしたら、この「私」がいったん死亡して、仮に十億年後に死んだ「私」とまったく同じニューロンの状態が、宇宙の別の場所でまったく偶然にも再現されたとしたら、どういうことになるでしょう?それは「私」が再現されたと同じことですから、「私」はそこで蘇生したことにならないでしょうか?なりますよね。
脳神経学的には、実にそのような結論になるのです。そんな偶然おこりっこないじゃないかと思われがちですが、でもその可能性がゼロでないかぎり、「私」はそうやって何度でも生き返れることになり、つまり「死ぬ」ということはなくなるというのです。
《人間は決して死ぬことはない》ということの、これがひとつの回答です。夢のような話ですが、想像してみたら実に楽しくはありませんか?(了)
(添田馨)